~今日のみことば~
「宿営に近づくと、彼は若い雄牛の像と踊りを見た。モーセは激しく怒って、手に持っていた板を投げつけ、山のふもとで砕いた。そして、彼らが造った若い雄牛の像を取って火で焼き、それを粉々に砕いて水の上にまき散らし、イスラエルの人々に飲ませた。
モーセはアロンに、「この民があなたに一体何をしたというので、あなたはこの民にこんな大きな罪を犯させたのか」と言うと、アロンは言った。「わたしの主よ、どうか怒らないでください。この民が悪いことはあなたもご存じです。彼らはわたしに、『我々に先立って進む神々を造ってください。我々をエジプトの国から導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです』と言いましたので、わたしが彼らに、『だれでも金を持っている者は、それをはずしなさい』と言うと、彼らはわたしに差し出しました。わたしがそれを火に投げ入れると、この若い雄牛ができたのです。」。」出エジプト記32章19-24節
出エジプト記32章の2節~4節にはこうありました。
「アロンは彼らに言った。『あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳輪をはずし、わたしのところに持って来なさい。』民は全員、着けていた金の耳輪をはずし、アロンのところに持って来た。彼はそれを受け取ると、のみで型を作り、若い雄牛の鋳像を造った。」と。アロンが金を持って来るように言い、彼がそれを受け取り、若い雄牛の鋳像を造った。」のです。
それにもかかわらず、アロンは言い訳をします。
「この民が悪いことはあなたもご存じです。彼らはわたしに、『我々に先立って進む神々を造ってください。』」と言ったからだと言い、「わたしがそれを火に投げ入れると、この若い雄牛ができたのです」と言います。まるで、悪いのは民で、金の雄牛の偶像が勝手に出来上がったかのように語るのです。そこには言い訳のしようもないアロンの罪があります。どうしてアロンが滅ぼされなかったのでしょうか。
申命記には次のようにあります。「アロンに対しても、主は激しく怒って滅ぼそうとされたが、わたしはそのとき、アロンのためにも祈った」(申9:20)と。アロンはモーセのとりなしによって生かされました。私たちも神様の御前において罪深い者ですが、アロンがモーセのとりなしによって生かされたように、十字架の上でとりなしてくださるキリストによって生かされるのです。
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◆教会からのお知らせ
◎【明日】聖書と讃美歌に親しむ集い
21日(木)午前10時半~。9月の讃美歌「むくいをのぞまで」536。
◎次週の礼拝(9月24日)
◆主日礼拝10:30~、第二礼拝13:30~
説教「福音を信じなさい」藤井牧師、マルコ1章12-15節、讃7、516。
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◆共に祈りましょう。
~主の祈り~
天にまします我らの父よ、願わくはみ名を崇めさせたまえ。み国を来らせたまえ。みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり。アーメン
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~神、われらと共にいます~
心を一つにして祈り、主に仕えよう!
日本キリスト教団 聖ヶ丘教会
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