よきおとずれ 2023.03.27

3月27日【今日のみ言葉】

〜今日のみことば〜
「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。
「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』
ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』
言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」。」ルカによる福音書18章9-14節

主はたとえを用いて、信仰者として生きるとは、どのように生きることなのか教えて下さいました。
最初に出て来る人は、信仰をもって生きていると自負している人です。彼は、「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下し」、祈りの中で「わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します」と言い、更に「週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています」と自分を誇ります。
一方の徴税人は、「胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』」と祈ります。
信仰は、人を驕り高ぶらせるものではありません。神の前に立つ時、人間は自分の罪に気付かされ、神の憐れみに気付かされるのです。信仰とは、主の赦しと憐れみに支えられて生きることであり、そこでほめたたえられるのは、救い主である神様なのです。