〜今日のみことば〜
「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。」フィリピの信徒への手紙3章7-9節
パウロは、かつて有益であったものを、キリストを知った今は「損失」と見なすようになったと告白しています。かつて有益であると思っていたものとは、宗教的特権や熱心さのことです。それは、多くの人々が、信仰者の救いを保証するもののようにさえ思ってきたものです。何が、これに取って代わったのでしょうか。
キリストに出会ったパウロは、キリストへの信仰により、神の恵みによって与えられる義があることを知りました。そして、このキリストとの出会いを「あまりのすばらしさ」だと感激に満ちて書き記しています。自分の信仰の立派さでも、世が与える満足や評価でもなく、キリストによる罪の赦しと救いの恵みを頂いて生きる喜びに満ち溢れたのです。