〜今日のみことば〜
「律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。『先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。』イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。
イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。『あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。』そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。
イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」」ヨハネによる福音書8章3-11節
律法学者やファリサイ派の人々とは、自分たちこそ信仰者だと自負しているような者たちです。そうした者たちが、人の罪を裁いたり、イエス様を試して訴える口実を得ようとしたりしています。わたしたちの信仰生活についても深く考えさせられます。
一方イエス様は、人の罪のゆえに滅ぼしてしまうのではなく、罪の赦しを与えて、新しい未来へと向かって送り出して下さる方なのです。人の過去を裁く生き方、罪の赦しによって将来を与えるキリスト、まったく正反対です。わたしたちは、キリストによって赦され、将来を与えられ、新しい歩みを与えられた者なのです。