〜今日のみことば〜
「エルサレムの人々の中には次のように言う者たちがいた。『これは、人々が殺そうとねらっている者ではないか。・・・わたしたちは、この人がどこの出身かを知っている。メシアが来られるときは、どこから来られるのか、だれも知らないはずだ。』
すると、神殿の境内で教えていたイエスは、大声で言われた。『あなたたちはわたしのことを知っており、また、どこの出身かも知っている。わたしは自分勝手に来たのではない。わたしをお遣わしになった方は真実であるが、あなたたちはその方を知らない。わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである。』」ヨハネによる福音書7章25-29節
人々は、イエス様が「どこの出身か」、「どこから来たか」知っていると思っていました。しかし、それは上辺の理解にすぎませんでした。人々は、イエス様が「自分勝手に来たのではない」「お遣わしになった方」がおられるということを理解できずにいました。主が「あなたたちは・・・知らない。」と仰せになった通りです。それゆえ、人々の心はイエス様を見て苛立ち、騒ぎ立ち、混乱しています。イエス様を「殺そうとねらって」いる人たちがいたのです。
主イエス様を知るとは、外見的に上辺のイエス像を眺めることによって足るものではありません。イエス様を知るとは、父である神様が主イエス様をお遣わしになったことを知り、信じることなくしては不可能です。御父が御子を派遣されたこと、そこに神様の愛と救いの御計画があることを信じ受け止める時、はじめてイエス・キリストがどのようなお方であるかを知ることができるのです。