〜今日のみことば〜
「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、わたしたちは泣いた。竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。わたしたちを捕囚にした民が、歌をうたえと言うから。わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と言うから。どうして歌うことができようか。主のための歌を、異教の地で。
エルサレムよ。もしも、わたしがあなたを忘れるなら、わたしの右手はなえるがよい。わたしの舌は上顎にはり付くがよい。もしも、あなたを思わぬときがあるなら。もしも、エルサレムをわたしの最大の喜びとしないなら。
主よ、覚えていてください。エドムの子らを。エルサレムのあの日を。彼らがこう言ったのを「裸にせよ、裸にせよ、この都の基まで。」。」詩編137編1-7節
エルサレムは破壊され、バビロン捕囚となった民は言葉にできない苦悩の中に置かれます。彼らにとってエルサレムは、主が御自分の民と出会ってくださる場であり、神と共にある都です。主が御自分の宝の民としてくださった者たちが、主への賛美を高らかに歌いつつ生きる場でした。しかし、今やその都は破壊され、人々は捕囚の民とされています。
捕囚の民は「エルサレムよ。もしも、わたしがあなたを忘れるなら、わたしの右手はなえるがよい。わたしの舌は上顎にはり付くがよい・・・」と壮絶な嘆きの声をあげています。けれども彼らは、苦悩と嘆きの中で、なおもエルサレムの礼拝を思い、主と共にあることを求めました。捕囚の地にある民にも、神様の眼差しが向けられ、神様の御支配が及んでいることを信じて、神様との結びつきの中に生きたのです。