〜今日のみことば〜
「【祈り。神の人モーセの詩。】主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。山々が生まれる前から、大地が、人の世が、生み出される前から、世々とこしえに、あなたは神。
あなたは人を塵に返し「人の子よ、帰れ」と仰せになります。千年といえども御目には、昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。あなたは眠りの中に人を漂わせ、朝が来れば、人は草のように移ろいます。朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい、夕べにはしおれ、枯れて行きます。
あなたの怒りにわたしたちは絶え入り、あなたの憤りに恐れます。あなたはわたしたちの罪を御前に、隠れた罪を御顔の光の中に置かれます。わたしたちの生涯は御怒りに消え去り、人生はため息のように消えうせます。
人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても、得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。御怒りの力を誰が知りえましょうか。あなたを畏れ敬うにつれて、あなたの憤りをも知ることでしょう。
生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。」詩編90編1-12節
私たちは、神様から与えられた限られた時間の中に生かされた存在です。詩編の御言葉は、そのような人間の一生を「朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい、夕べにはしおれ、枯れ」る野の草にたとえています。けれども、そのような人間が、「山々が生まれる前から、・・・人の世が生み出される前から、世々とこしえに神」である方を拠り所として生きることを許されているのだと語るのです。
同時に、この詩編の信仰者は、神の前にある人間の一生を見つめた時、そこに「わたしたちの罪」(8節)、「隠れた罪」(同8節)があることに気付かされました。彼は、神様に向き合う程に、人間の罪に気付かされていったのです。そこで彼は祈ります。「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように」と。
罪ある人間が、神の憐れみによって生かされ、なお主の許しの中に置かれていることを知った信仰者は、主の御手から受けた生涯を正しく受け止め、まことの知恵をもって生きることができるようにと祈り求めたのです。主に従う者の新しい生き方が形作られるのです。