今日のみことば〜
「【ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき。】 神よ、わたしを憐れんでください。御慈しみをもって。深い御憐れみをもって、背きの罪をぬぐってください。わたしの咎をことごとく洗い、罪から清めてください。あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し、御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく、あなたの裁きに誤りはありません。・・・・・・ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください。わたしが清くなるように。わたしを洗ってください。雪よりも白くなるように。」詩編51編2-9節より
今詩編51編は、7つある「悔い改めの詩編」の中でも、特によく知られたものです。ダビデが罪を犯したとき、神は、預言者ナタンをダビデのもとにお遣わしになりました。ダビデは自らの罪に気付かされ、悔い改めの祈りを捧げます。
ここに記されている「背き」は神への反抗を、「咎」とは故意の罪をあらわしています。聖書は、それらの罪を神の前に告白します。なぜなら、罪の問題の解決は人間の力や手段によって容易に得られるものではなく、神の赦しと憐れみの中で取り扱っていただくほかないことを詩編の信仰者は深く気付かされていたからです。
これらのことは、神に対してだけ罪を悔い改めれば良いということではありません。隣人に対する罪が見過ごされているのではないのです。神に対する過ちと、人間に対する過ちは無関係ではないからです。旧約聖書では、人間に対する罪も神に対する罪そのものとみなされてきたのです。それは大切な点です。