よきおとずれ 2022.07.29

7月29日【今日のみ言葉】

〜今日のみことば〜
「人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした。するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、「この人も一緒にいました」と言った。しかし、ペトロはそれを打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言った。少したってから、ほかの人がペトロを見て、「お前もあの連中の仲間だ」と言うと、ペトロは、「いや、そうではない」と言った。一時間ほどたつと、また別の人が、「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」と言い張った。だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」ルカによる福音書22章54-61節

ペトロは、自分は主イエス様の弟子として立派にやっていけると思っていたようです。ペトロの言葉を見ると、自分の召命は必ずや立派に全うできるという自信のようなものを持っているかに思えます。実際ペトロは、イエス様のためなら、牢に入れられても、たとえ死ぬことになっても、それを受け入れる覚悟でした。
ところがイエス様が捕らえられ、自分の身にも不安を感じたペトロは、三度も繰り返して主を否みます。しかし、彼は主の御言葉を思い出しました。そして「外に出て、激しく泣いた」とあります。主の御言葉を通して、自分の罪に気付かされ涙したのです。ペトロが立派にイエス様に従い通し、イエス様と一緒に死んでいくことはできませんでした。イエス様の方こそ、ペトロのために死んでくださり、ペトロのためにすべてを与え尽くしてくださったのです。
人間は誰でも、ペトロと同じ弱さや罪をもっています。このペトロの姿は、私たち一人一人の姿でもあります。