〜今日のみことば〜
「過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と言われた。二人が、「どこに用意いたしましょうか」と言うと、イエスは言われた。「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。」二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。
時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」」ルカによる福音書22章7-16節
ルカによる福音書は、イエス様の受難について語る際に、それは「過越の小羊を屠るべき除酵祭の日」であったと告げています。これは、イスラエルの民がエジプトの生活から贖い出された、主の救いの出来事を記念する特別な時でした。福音記者ルカは、主イエスこそ、罪の力によって捕われた全人類を贖う犠牲の小羊であることを証ししているのです。
主の受難の出来事を告げている福音書の箇所を読み進めると、そこには人間の罪の姿が暴露されています。そして、その罪から逃れることが出来ないほどに捕らわれ、闇の中にある人間の姿が浮かび上がってきます。そこにおいて、神の小羊である主イエスの贖いが成し遂げられていくのです。