今日のみことば〜
「息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。」ルカによる福音書15章21-24節
放蕩息子のたとえ話には、父の家に帰った弟息子の喜びや感激は記されていません。帰ってきた弟息子を喜ぶ、父親の溢れんばかりの喜びが語られています。
ルカによる福音書15章に登場する他のたとえ話も同様です。失われた一匹の羊が見出された時、羊が喜んだのではなく羊の持ち主が喜び、失われた銀貨の一枚が見出されたとき、銀貨が喜んだのではなく、銀貨を探していた持ち主の女性が喜んだのです。
失われた存在、それは神様のもとから離れた私たち一人一人の姿です。神様は、そのような私たちを探し求め、見出して、私たち一人一人を喜んでくださるお方なのです。神様の目には、あなたの存在が、かけがえのない、決して失われてはならない大切な存在なのです。