〜今日のみことば〜
「彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」ルカによる福音書15章16-20節
父の家を飛び出した弟息子は、父から受け取った財産を使い果たし、その日の食べ物にも事欠くようになります。そこで彼は我に返ります。我に返った息子は、自分が父の子であること、父のもとで豊かな恵みを受けて生きてきたことを思い返しました。また、そのような自分が父の家を飛び出して放蕩の日々を送ってきたこと、「天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯し」たことに気付きます。そして、この息子はついに父の家へと帰っていくのです。
悔改めとは、単に後悔することではあません。悔改めとは、父の家に向って歩き出すことです。いつくしみ深い父である神様の方へ、私たちの歩みを転換することなのです。そのとき「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」とあります。主は、弟息子の帰りを待ち続け、走り寄って迎える父親の姿をもって、私たちが悔い改めてご自分のもとに帰ってくることを待ち続けて下さっている、父なる神様の憐れみ深い御心を示してくださったのです。