よきおとずれ 2022.06.09

6月9日【今日のみ言葉】

〜今日のみことば〜
「それにしても、あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。薄荷(はっか)や芸香(うんこう)やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もおろそかにしてはならないが。
あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。会堂では上席に着くこと、広場では挨拶されることを好むからだ。
あなたたちは不幸だ。人目につかない墓のようなものである。その上を歩く人は気づかない。」。」ルカによる福音書11章42-44節

今日の箇所には、ファリサイ派の人々について三度「不幸だ」と語られています。主は、ファリサイ派の人々が「十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかにし」ており、人から敬虔な者だと見られようとする姿、この世の称賛を求める姿を指摘されたのです。
この御言葉の背後には、旧約聖書ミカ書6章8節があります。そこには「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかはお前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである」とあります。信仰とは、神様の御目の前に誠実に生きることであり、神様の愛に真心をもって応えつつ歩むことなのです。そして、イエス様が「十分の一の献げ物もおろそかにしてはならない」と言われた捧げものや、「正義の実行」は、神様への愛と真実な心の現れとして大切にすべきものなのです。