〜今日のみことば〜
「ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは麦の穂を摘み、手でもんで食べた。ファリサイ派のある人々が、「なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか」と言った。
イエスはお答えになった。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを取って食べ、供の者たちにも与えたではないか。」そして、彼らに言われた。「人の子は安息日の主である。」。」ルカによる福音書6章1-5節
ファリサイ派の人々は、弟子たちが安息日に「麦の穂を摘み、手でもんで食べ」る様子を見て、「安息日にしてはならないことをしている」と批判しました。
律法では、鎌で収穫するのでなければ、他人の畑の麦の穂を摘むことは許されていました。問題になっているのは、他人の畑の麦を取ったことではなく、安息日に「手でもんで」という脱穀仕事をしたという安息日既定の違反です。
そのとき主イエス様は、サムエル記上21章の出来事を通して、規定よりも優先するものがあることを示されました。その根底にあるのは、人間の命と存在を肯定し愛してくださる主の御心です。安息日はそもそも人類への神の賜物であり、被造物である人間が魂と肉体の安息を与えられ、新しい力と恵みに満たされて生きるために備えられたものです。イエス様は、その安息日の本来の目的に私たちの思いを向けさせておられます。