よきおとずれ 2022.03.06

3月6日【今日のみ言葉】

〜今日のみことば〜
「イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」」マタイによる福音書9章10-13節

罪を犯した人が主イエスと共にいてはいけないのでしょうか。罪びとに赦し与えられてはならないのでしょうか。人間は、もし罪を犯したなら、その罪や失敗の過去ゆえに、現在と未来の平和や希望が失われるべきなのでしょうか。このような考えは、明らかにキリストの御心とは異なっています。
聖書には、罪を犯した女性を引きずりだして石で打とうとしたり、人の姿を見て罪びとだと指を指す者たちの姿が度々登場します。しかし、「あいつは罪びとだ」と思い、人を裁いている者自身が、実は、罪に捕らわれてしまい、赦しを受け取ることができないでいる姿に気付かされます。
主キリストの「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」との御言葉は、たとえ人間の過去がどうであっても、主は罪の赦しを与え、その赦しによってその人に新しい恵みの人生を備えて下さるということをあらわしています。