〜今日のみことば〜
「神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエルの子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、霊に仕える務めは、なおさら、栄光を帯びているはずではありませんか。人を罪に定める務めが栄光をまとっていたとすれば、人を義とする務めは、なおさら、栄光に満ちあふれています。」コリントの信徒への手紙二3章6-9節
「神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエルの子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、霊に仕える務めは、なおさら、栄光を帯びているはずではありませんか。人を罪に定める務めが栄光をまとっていたとすれば、人を義とする務めは、なおさら、栄光に満ちあふれています。」コリントの信徒への手紙二3章6-9節
モーセが二枚の石の板に刻まれた十戒を受けたとき、モーセの顔は光を放ち、人々は恐れを抱きました。
使徒パウロはここで、「石の板に刻まれた文字」を「死に仕える務め」「人を罪に定める務め」と語りました。律法によって人間の罪が示されたのです。しかし、この旧約の律法さえ神の栄光に輝いており、その御言葉に奉仕するモーセの顔は輝いたのです。
しかし今や、主イエス・キリストによって「人を義とする務め」が与えられており、それは「なおさら栄光を帯びているはずではありませんか」と御言葉は語っています。人を義とし、救ってくださる、栄光に輝く神の愛の御業が示されたのです。