〜今日のみことば〜
「わたしたちは世の中で、とりわけあなたがたに対して、人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました。このことは、良心も証しするところで、わたしたちの誇りです。・・・ このような確信に支えられて、・・・あなたがたのところへ行く計画を立てました。・・・このような計画を立てたのは、軽はずみだったでしょうか。それとも、わたしが計画するのは、人間的な考えによることで、わたしにとって「然り、然り」が同時に「否、否」となるのでしょうか。」コリントの信徒への手紙二1章12、15、17節
「わたしたちは世の中で、とりわけあなたがたに対して、人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました。このことは、良心も証しするところで、わたしたちの誇りです。・・・ このような確信に支えられて、・・・あなたがたのところへ行く計画を立てました。・・・このような計画を立てたのは、軽はずみだったでしょうか。それとも、わたしが計画するのは、人間的な考えによることで、わたしにとって「然り、然り」が同時に「否、否」となるのでしょうか。」コリントの信徒への手紙二1章12、15、17節
パウロの伝道計画が「軽はずみ」であるかのように思う人たちがいたようです。使徒パウロは「神から受けた純真と誠実」をもって伝道計画をたて、「神の恵みの下に」行動してきたと語ります。この、「神から受けた純真と誠実」とは、単にパウロ自身から出た純真さや誠実さということではありません。「神から受けた」というところが肝要です。パウロは、神御自身の真実な御心をそのままに受け取り、伝道者としての務めを果たしてきたのです。現代の教会においても同様です。主の教会は、神様の御心を信じ受け止めて歩み続けます。