〜今日のみことば〜
「夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。」マタイによる福音書27章57-61節
「夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。」マタイによる福音書27章57-61節
主イエス様の遺体を引き受けたアリマタヤのヨセフの姿が記されています。彼は、十字架の上に死なれた主イエス様のご遺体を、葬りのために引き受けたのです。そして真心をこめて葬りました。ヨセフがしたことは、心をこめて主を葬るということです。しかし、その葬りを越えた出来事が胎動しています。主は葬られ、その墓は大きな石で閉ざされ、主を愛する者たちは墓を見つめて佇んでいますが、そのただ中で、命の神がお働きになるのです。