〜今日のみことば〜
「二人の盲人が道端に座っていたが、イエスがお通りと聞いて、『主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください』と叫んだ。群衆は叱りつけて黙らせようとしたが、二人はますます、『主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください』と叫んだ。イエスは立ち止まり、二人を呼んで、『何をしてほしいのか』と言われた。二人は、『主よ、目を開けていただきたいのです』と言った。イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従った。」マタイによる福音書20章30-34節
「二人の盲人が道端に座っていたが、イエスがお通りと聞いて、『主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください』と叫んだ。群衆は叱りつけて黙らせようとしたが、二人はますます、『主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください』と叫んだ。イエスは立ち止まり、二人を呼んで、『何をしてほしいのか』と言われた。二人は、『主よ、目を開けていただきたいのです』と言った。イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従った。」マタイによる福音書20章30-34節
二人の盲人の「主よわたしたちを憐れんでください(Kyrie eleison)」との信仰の言葉は、キリスト教会の礼拝における重要な祈りの言葉となって、今に受け継がれています。大切なのは、わたしたちの願いや求めに先立って、主が憐れみ深い方であるという恵みの事実です。先行するのは、私たちの貧しさや救いの無い現実ではなく、憐れみふかい神の恵みなのです。だから、わたしたちは何時でも「主よわたしたちを憐れんでください(Kyrie eleison)」と、主の御名を呼びつつ生きることができるのです。