~今日のみことば~
「イエスは言われた。『わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」マタイによる福音書5章17-20節
律法はわたしたちキリスト者には関係ないなどと考えるのは行きすぎです。律法にどう向き合い、律法をどのように守って生きるのかということが大切です。主イエス様は、クリスチャンにとって律法はもはや守に値しないものだなどとは仰いませんでした。「これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる」と言われ「あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」とも言われました。律法、つまり神の御言葉に真心から向き合い、御言葉に聞き従う生き方、そこに、主に贖われた者の生き方があります。