~今日のみことば~
「偶像は金銀にすぎず、人間の手が造ったもの。口があっても話せず、目があっても見えない。耳があっても聞こえず、鼻があってもかぐことができない。手があってもつかめず、足があっても歩けず、喉があっても声を出せない。偶像を造り、それに依り頼む者は、皆、偶像と同じようになる。」詩編115編4-8節
聖書の神は、自らお語りになる神です。ヨハネは「初めに言があった。・・・言は神であった。」(Jh1:1)と記しています。「神がお語りになる」とは、神にはご意思があるということであり、神は生きておられるお方であるということです。
反対に、偶像とは金や銀という人々が価値あると思うもの、人々を惹きつける美しいもので作られているかもしれませんが、それは人間の思いによって作られたものです。
大切なのは、自分たちがイメージし、作り出した神を拝むことではなく、自らのご意思をもってすべてを導き、自らお語りになる「神の御言葉」に導かれて生きることなのです。