娘が通っていた長崎のカトリック保育園でのこと、原爆の日が近いある朝、チャプレンの神父様が平和についてお話をされました。


    「皆さん、今から平和を作りますよ。では手をパーにして、隣の人とつないでください。」子どもたちは今から何が始まるのだろうと好奇心一杯に手をつなぎます。そして「せーの、平和!」との掛け声でそのつないだ手が高くあがりました。子どもたちは嬉しそうにニコニコしています。続いて、「では戦争とは何でしょう」と問いかけて、「今つないでいる手を放して、握りこぶしを作ってください。それを人に向かって振り上げたら、それが戦争の始まりです。」と言われました。子どもたちの姿を通して、平和について考えさせられる時でした。


    「すべての争いは、人間の心の中で生まれる」と言われます。私たちの心の中に、怒りや争いの芽が生じます。戦争反対と言いながら、時に固く握った拳を振り上げることがありはしないでしょうか。争いや対立、そこに生じた敵意は、私たちの世界・社会の平和を奪うだけではなく、私たち人間の心からも平和を奪います。敵だと思っている相手だけでなく、自分こそ正しいと思っている者の心からも平和は奪われてしまうのです。

 

 

    使徒パウロは、「実に、キリストはわたしたちの平和であります」(14節)と語り、キリストの福音は「平和の福音」(17節)であると教えています。


    ではキリストによって示された平和とは、どのような平和でしょうか。パウロは平和について語るとき、人間の罪について語りました。人間の罪が神様と私たちを引き裂き、人間同士の交わりにも敵意を生じさせたと言います。そこに平和が失われた姿が示されています。このすべての敵意と争いの奥深くに、聖書は人間の罪を見つめているのです。


    しかし主イエスは、罪によって失われてしまった私たち人間と神様との恵みの関係、人間同士の喜ばしい交わりを取り戻すために、十字架を通して敵意を滅ぼし、決して失われることのない平和を与えてくださいました。それを通して、主は愛と平和の交わりへと私たちすべてを招いておられることが示されたのです。

 

(2019年6月23日 主日礼拝)