聖書の御言葉は、わたしたちに「光の子として歩みなさい」と語っています。主イエスもマタイによる福音書5章で、「あなたがたは世の光である」(5:14)と教えられました。わたしたちは、聖書の御言葉を通して、光の子であり、世の光であると語り掛けられているのです。

 

    旧約聖書の最初にも、神が「光あれ」と仰せになり、その光の中で生きるようにと人間が創造されたことが記されています。人間は確かに、「光あれ」と宣言してくださった神の恵みの中で、「光の子」として生きるように創造された者です。
    しかしアダムとエバは、光である方を見つめることを止め、神の恵みの光を自ら退けていきました。そして人間は、神から与えられた恵みとしての人生ということが分からなくなってしまい、自分自身や周囲の人々、この世界に対する神の恵みの御計画を信じることが出来なくなってしまいます。
    このことは、アダムとエバ、カインとアベルといった人間同士の間にも、暗い闇をもたらすこととなりました。

 

    しかし神は、救い主を求める心を失くした人間をも見捨てず、わたしたちを愛することをお止めになりませんでした。
    エフェソの信徒への手紙5章は「あなたがたは神に愛されている子どもです」(5:1)との呼びかけで始まります。そして、イエスがわたしたちの罪のために十字架に死に、すべての罪を赦し、わたしたちがもう一度神様の子として生きることが出来るように招いてくださったと教えているのです。
    神は誰を愛してくださったのでしょうか。福音記者ヨハネは「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)と語ります。一人残らず、すべての人が愛されたのです。恵みの御計画をもって、わたしたちを生かしてくださった神は、ご自分に背いたアダムとエバ、わたしたちさえお見捨てになりませんでした。そして、わたしたちすべてが神に愛されている光の子として生きることを望まれたのです。

 

信仰をもって生きるとは、主に結ばれて生きることです。そこに「光の子」としての、喜びと希望にみちた歩みがあります。
 
(2019年5月12日 花の日教会全体礼拝説教)