主のご復活、
    おめでとうございます。

    今年もイースターの主日を迎えました。主の復活によって与えられた福音の希望が、いつも皆さんと共にありますように。

 

    聖金曜日のこと、主イエスは十字架の上で死なれ、アリマタヤのヨセフが用意した墓に葬られました。
    マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、そしてサロメ、三人の婦人たちは深い悲しみにくれ、愛する主のために心づくしの葬りをしたいと願いました。そして週のはじめの日の朝早く、香料を持ってイエスの墓へ急ぎます。彼女たちにとって主イエスの亡骸は、愛する主との最後のつながりでした。主の亡骸に寄り添い、主を哀悼することは、婦人たちに残された最後の慰めでもあったのです。
    
    しかし婦人たちが墓に着くと、主イエスの墓の入口は開き、墓を塞いでいた大きな石は脇へ転がされていました。そして白い衣を着た若者が「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない」と、主の復活を告げます。
    キリストは復活されました。今や死んで葬られたイエスの亡骸を慰めとすることはできません。主の亡骸に哀悼を表わし、墓の中に主を覚えることは出来なくなりました。生きておられるキリストに望みを与えられます。ここにイースターの喜びに満ちた福音があります。
    わたしたちの神は、墓の中に慰めを与えようとしておられるのではありません。キリストは死に打ち勝ち、墓の中にではなく、死者の中からの復活を通してわたしたちを慰め、喜びで満たしてくださるのです。

 

    わたしたちの父である神は、すべての望みが断絶したかのように思えるところにおいても、力強く御業を成してくださるお方です。復活を信じるとは、人間の望みが尽きたところに働く神の全能の御力を信じることです。死なないことや、望みが絶たれないことがすべてではありません。主イエスを死者の中から復活させられた全能の神こそが、わたしたちの希望、そして誰も奪うことのできない慰めなのです。
    
(2019年4月21日イースター礼拝説教より)