「イエス・キリストという土台の上に」との教会標語のもと、2019年度の聖ヶ丘教会の歩みが始まりました。
    使徒パウロは「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。」と語りました。ここでパウロは、建物と土台の関係を用いて教会のあるべき姿を教えています。ほかの土台を据えることができないとは、キリスト以外のものを土台とした教会など、そもそもあり得ないからです。しかもイエス・キリストという土台は「既に据えられている土台」だと教えています。父である神様の御心によって、わたしたちの救いのために、イエス・キリストという土台が据えられているのです。わたしたちの救いの確かな土台があるのです。大きな神様の恵みです。
    
    その一方で、わたしたちが教会について考えるとき、教会とはそもそもキリストを信じる者たちの共同体であるということを忘れるわけにはいきません。
    教会がイエス・キリスト以外のものを土台に据えることができないとは、わたしたち信徒一人ひとりの信仰生活においてもイエス・キリスト以外を土台とした信仰などということは成立しないということでもあるのです。わたしたちの信仰を見つめ直させられる思いがします。


    わたしたちの教会も、わたしたちの信仰も、人間の力や思いによって形作るものではありません。パウロは「わたしたちはキリストの思いを抱いています。」(コリ二・一六)と語ります。また、教会は「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈りながら歩んできました。神様の御心を聴きつつ、その御心の実現を求めて歩むのです。


    こうした信仰の歩みの最も中心にあるのが毎週日曜日の礼拝です。キリストを土台として生きるとは、具体的には礼拝を土台として生きることです。教会も信徒一人ひとりも主の福音の言葉を聴き、イエス・キリストを土台として生きるとき、信仰と希望と愛に満たされます。教会はその恵みを共に分かち合う、大きな神様の家族なのです。

 

 

新年度教会標語より