ローマの信徒への手紙は、使徒パウロがローマの教会のキリスト者たちへ書き送った手紙です。パウロはその手紙のはじめに「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから」と書き出します。
    ここでパウロは、自らを「キリスト・イエスの僕」だと語ります。キリストに仕えるとは「キリスト・イエスの僕」として仕える事だというのです。
    
    「」としてキリストに仕えるとは、どのようにキリストにお仕えすることなのでしょうか。
    「」は、自分の主人が命じるままに仕えるのです。主人の心のままに仕えます。それが僕として仕えるということです。つまり、キリストの僕としてお仕えするとは、自分の思うようにキリストに仕えることでも、自分の思いに叶う時だけ仕えることでもありません。すべてにおいて主イエス様の御心のままに従うことであります。

    この「キリスト・イエスの僕」として仕えるという信仰の姿は、パウロやほかの使徒たちに限った信仰の姿ではありません。イエス・キリストを信じ、洗礼を受けたわたしたち一人ひとりの信仰の生涯も、キリストの「」として生きる生涯です。キリストを信じ従うわたしたちは、誰であっても、主キリストに僕として仕えるということに変わりないのです。
    
    パウロは更に続けて、自らの選びについて語ります。「神の福音のために選び出され、召されて使徒となった」と。ここでパウロは「神の福音のために選び出され」たと語ります。神の愛を証しするために選び出されたのです。この神の選びは、パウロに全く新しい人生と使命とを与えました。
    
    聖書の中には、神の選びを勘違いした人たちの姿も出てきます。律法学者やファリサイ派と呼ばれる人たちは、自分たちこそ神様に特別に選ばれた者だと思っていました。そして彼らは選びを誇って、ほかの人たちを見下したのです。
    神の選びは、わたしたちを格付けし、傲慢にするものではありません。福音のため、神様の愛を証しするためにこそ、わたしたちは選ばれたのです。ただ神の恵みなのです。

 

2018年9月2日説教より