主イエス様は「わたしはまことのぶどうの木」(一節)、「あなたがたはその枝である」(五節)と教えられました。御言葉を聞くとき、わたしたちは、キリストが一体どのようなお方なのか知ることができます。
    更に、神の御言葉は、わたしたち自身の存在をも明らかにします。主が「あなたがたはその枝」だと仰せになる御言葉を通して、自分が何者なのかということに気づかされるのです。

 

    主イエス様は、ぶどうの木とその枝の譬えの中で「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。」(九節)と仰せになりました。キリストに結ばれて生きるとは、キリストの愛の中に留まって生きることです。そのとき、わたしたちは「豊かに実を結ぶ」(五節)生き方ができるのです。
    
    では、わたしたちは具体的にどのようにして主の愛の中に留まり、まことのぶどうの木であるキリストに結ばれた生き方をしていくことが出来るのでしょうか。
    第一には、キリストのからだである教会にしっかりと繋がることを通してです。キリストを信じることと教会に結ばれることは一体です。わたしたちは、教会の礼拝において、神様がわたしたちに語りかけてくださる罪の赦しと救いの御言葉を聞きます。そして、いのちの糧である聖餐のパンと杯に養われるのです。
    
    この主イエス様につながって生きる信仰の歩みは、「わたしもあなたがたにつながっている」(四節)と宣言してくださるキリストの恵みに支えられた歩みです。わたしたちの信仰は、主があなたにしっかりと繋がっておられ、決してその手をお放しにならないという恵みの出来事に支えられているのです。
    
    わたしたちは「ぶどうの枝になりなさい」と要求されているのではありません。主は、「あなたがたはその枝である」、わたしの大切な枝だと宣言しておられるのです。
    わたしたちに求められていること、それはわたしたちを愛し、わたしたちにまことのいのちを与えてくださるキリストの愛に留まること。キリストの愛を信じて生きることなのです。
    
2018年8月12日説教より