わたしたちの主は、「互いに愛し合いなさい」とお命じになりました、そして「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」(ヨハネ13・34~35)と仰せになりました。

 

 また主イエス・キリストは、十字架におかかりになる前に「すべての人を一つにしてください。・・・そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。」(ヨハネ17・21)と祈られました。

 

 互いに愛し合い、一つであること、それはキリストを信じる者たち、また教会の「この世に対する証し」そのものなのです。

 

 ところが教会の中に、分裂があり、対立がありました。一致が損なわれていたのです。
使徒パウロは「わたしはパウロにつく」、「わたしはケファに」、「わたしはアポロに」、「わたしはキリストに」と言いあっている人々の姿を目の当たりにして、コリントの信徒たちに訴えています。「キリストは幾つにも分けられてしまったのですか」(13節)と。

 

 引き裂かれていたのは、教会です。しかしパウロは、キリストが引き裂かれているというのです。それほどに大きな心の痛みを覚えたのです。教会の中にある分裂の姿を見て、パウロはキリストご自身が引き裂かれていると感じずにはいられなかったのです。

 

 パウロは、教会は「キリストのからだ」(Ⅰコリ12)であり、「御子はその体である教会の頭です」(コロ1・18)と教えました。このことは、教会がどれほど大切なものであり、分裂したり、引き裂かれたりしてはならない、聖なるもの、愛すべきものであるかを、わたしたちに示しています。キリストを愛することと教会を愛することは同じことです。キリストを愛するわたしたちは、教会をも愛して生きるのです。

 

 キリストに結ばれて生きるとは、教会に結ばれて生きることです。それゆえに、わたしたちは教会内の対立や敵意、一致の欠如に無関心でいることはできません。それらはすべて、わたしたちを神から引き離す悪魔的力です。

 

 神の言葉は呼びかけています。「皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい」(Ⅰコリ1・10)と。ここに神の愛に生きる教会の姿があるのです。

 

(2018年4月22日説教)