主のご復活おめでとうございます。

 

 

    聖書の中には、非常に印象的な二つの園の姿が記されています。一つは、創世記のはじめに記されたエデンの園であり、もう一つは、今日の福音書に記された、主イエスが納められた新しい墓のある園です。


    エデンの園には神に背いたエバとアダムの姿があり、主の復活の園には復活のキリストに出会うマリアや弟子たちの姿があります。


    罪によって失われた神様との関係が、主の十字架と復活の園において新たに結ばれていくのです。

 

 

 

    ヨハネによる福音書二〇章には、墓の外で涙するマリアの姿があります。主イエス様が十字架に死なれ、葬られていったという出来事は、マリアにとって人生の拠り所が失われ、頼りとするものが全く失われていくような厳しい経験でした。


    このマリアと同じように、わたしたちも死を前にして全く無力な存在です。しかしキリストは、決して無力な方ではありません。わたしたちが全く無力であり、何一つ手立てを持ちえない弱さを経験させられる罪と死の只中において、キリストは皆さん一人一人の救い主として力強いお方であり、救いを成し遂げてくださるお方なのです。

 

 

    主の復活は単なる奇跡物語ではありません。イースターの出来事は、おとぎ話のように語られてきたのではありません。


    イースターの出来事は、人間の望みの尽きたところに、なお神様の救いの力が、力強く働き、わたしたちを救うという神様の救いの手立ては決して尽きることはないという、神様の恵みをわたしたちに語り伝えています。それゆえに、これはわたしたちに対する主の福音の言葉なのです。


    わたしたちは、キリストの十字架を通して、死がいのちへと続いていくことを知らされました。十字架が復活の朝に続くことを知らされました。キリストの十字架は、死を超えていのちへと続く道がある事、終りの中に始まりがあることを啓示しているのです。ここに福音があります。


    キリストの十字架の死、それは教会の原点です。そして、キリストの十字架の死は、わたしたちの救いの原点です。このところにおいてのみ、わたしたちは命へと続く新しいはじまりを経験するのです。


(2018年4月1日説教)