今日の聖書には「ペンテコステ」の日の出来事が記されている。1節にある「五旬祭」は過越祭から五十日後に行われるユダヤ人の祭りで、小麦の収穫を祝った(レビ記23章、申命記16章)。イエスは、過越祭の翌日となる五旬祭の49日前に十字架につけられた。


 このイエスは十字架につけられ、死んで、三日後に復活された。それから色々な方に現れ、四十日目に昇天された。また十日が過ぎた五旬祭の日に約束の聖霊が主の弟子たちの上に降った。一同が聖霊に満たされ、使徒たちがイエスの復活を証しし、それを受け入れた人々が教会を形成したことがこの章の内容である。丁度、過越の祭りから五十日目に当たる日に聖霊が降り、原始教会が設立された。


 弟子たちが一つの所に集まり、心を合わせて祈っていた時、聖霊は一人一人に同じように降られた。一同は聖霊に満たされ、その事を示すために炎のような舌が見えた。かつてはディアスポラ出身、当時はエルサレム在住のユダヤ人やユダヤ教への改宗者たちに、聖霊を受けたキリスト者はみな神の大きな御業を語りだした。


 このペンテコステの日は、聖霊が降り教会が誕生した日であるが、聖霊が教会全体に降り、しかも信者一人一人の上に降った事を覚えよう。天からの響きは家いっぱい、即ち教会全体に降り、炎のような分かれた舌は一人一人の上にとどまった。


 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起こった。聖霊が降るのは突然であり、地上からではなく天からである。「風」はギリシャ語では「霊」と同じ言葉であり、人の予想を超えた働きをする。また「霊」は「炎」のように人間を浄化する。霊が降ることは、息が吹き込まれる表象をとる。


 このように教会は聖霊によって結合され、導かれる共同体であることを明らかに示した。聖霊の交わりとは、いかなる人間的要件でもなく、ただ聖霊のみが与えうる、キリスト者の共同の生をいう。


 教会から離れて自分ひとりが聖霊を受けていると思い上がってはならない。福音的な教会に属していることに安住し、自分自身の聖霊体験を軽んじてはならない。自分でイエスを信じて聖霊をいただくと共に、聖霊が教会全体に注がれていることを確信し、教会に根づいた信仰生活を送ろう。

 

(2017年6月4日夕拝説教)